Writings

New Essays Every Monday

  • 私「月が綺麗だね」
    夫「紺ちゃんのほうが綺麗だよ」
    綺麗なものを見たときの会話文として、あらかじめ彼の頭に登録してあるものだ。我が家の決まり。

    彼は褒め言葉の語彙が少ない。いい、おいしい、すき、すごい、かわいい、以上。言葉じゃないもので感情表現する人だと気づくまでは、たくさんけんかした。今なら、出したピザが一瞬で消えることがどんな言葉よりも雄弁だとわかる。ただ、こちらとしては、普段と違った感じのお酒やお花を用意して、おしゃれもして、彼の帰宅を待っていたのである。たいした会話もなくピザに集中されると切ない。

    月を見るとき、彼はオタクっぷりを発揮することが多い。お気に入りの単眼鏡を取り出して、ピントを合わせ、「ほーら見てごらん」と私に言う。たぶん彼の思考としては、「好きな人と月を見る」→「それならしっかり月面が見えなくちゃ」→「スペックのいい単眼鏡を選ばなくちゃ」→「よーし今が使いどき。一緒に見るぞ」なんだけど、一緒に月を見るというのはそういうことじゃなくて、いや、そういうことがあってもいいんだけどそのまえに、なんか雰囲気を作って楽しむものだと思う。

    ということで、私が「綺麗」という言葉を使ったら「紺ちゃんのほうが綺麗だよ」と返しましょうという約束をした。私が憧れていた、気の利いた台詞だ。具体的・技術的なところに行くまえに、隣の私に意識を向けよとの要請である。年季が入り、彼は今や憎たらしく棒読みで言う。いわゆるロマンティックな雰囲気とはちょっと違う。ふたりでけらけら笑ってしまう。これはこれでいい。

    中秋の名月の日。満月になる時刻に、私は自分の部屋の窓を開けて月を見ていた。彼がタイミングよく帰ってくる姿が見えた。配置的には「ロミオとジュリエット」だけど、まあそんなやりとりは期待しない。夕飯前、一緒に月を見た。「綺麗だねー」と言ったら、彼はいつも通り、定型文を棒読みした。

  • be all Greek to me
    直訳:私にとってすべてがギリシャ語である
    意味:ちんぷんかんぷんである

    リスニングの勉強に、「クリミナル・マインド」を見始めた。FBIの話。昔見たときは、勉強の意識なく、英語音声と日本語字幕だった。今回は英語音声と英語字幕。

    6割くらいは難なくわかる。2割は巻き戻すなどしてがんばればわかる。残りの2割はわからない。主要人物の発音は明瞭で聞き取りやすい。だけど、緊迫した雰囲気で犯人のプロファイルを分析するシーンなどが、とても速い。リード氏については専門用語の列挙を1.3倍速で話す。字幕を見てもちんぷんかんぷんである。

    何がちんぷんかんぷんなのか、要素を特定するのは大切だ。特定できれば対策が打てる。訓練の計画を立てて実行できる。そういうことが、大学時代よりずっとうまくなった気がする。1日1エピソードを目標に、スピードに慣れたいと思う。

  • 9月18日(月)
    書斎の観葉植物に、ぴょこっと新しい葉が生えた。ただ水やりだけを続けた、近視眼的な夏が終わろうとしている。季節は秋冬のほうが好き。こっくりとした色と雰囲気の部屋が好き。涼しい風が吹くまえに、昼からやっているクラフトビールのバーに行きたい。西日を受けながらお酒を飲んで、ポテトを食べて、ぼけーっとしたい。

    9月19日(火)
    夕食から1時間後、夫が私の部屋に来て「ねえ、これ一緒に食べない?」と言った。「あれ、さっきデザートの梨を出したのに、他のお菓子かな? なんだろ。ひゃっほー」と近寄ったら、小分けパックのもずく酢だった。賞味期限が1日切れたやつ。食卓に座って、開け口をぺりっとめくり、数回に分けて飲んだ。こういうの、彼らしくて好き。

    9月20日(水)
    頭が動くようになってきて、久しぶりに仕事。たっぷりたまっているように見えて、本質をつかめれば少ないように思える。

    9月21日(木)
    お世話になった士業の男性に贈ったものを届け終わったと、ヤマトからメール。ほどなくして、彼からお礼の電話がかかってきた。初めて会ったとき、彼は堅いスーツとは裏腹に、くまのプーさんのペンケースを持っていた。話の流れで言及すると、「好きなんです。特にクラシックのもの。今日もこれから展覧会に行くんです」と微笑みながら言った。それを覚えていたので、洋書の、イラストがフルカラーの4冊セットにした。持っていらっしゃるかも、という心配は杞憂だった。「いやあ、素敵です、かわいいです」と話していて、その声がかわいかった。

    9月22日(金)
    名駅で買いもの。コンタクトレンズ、食材、お花。夕食は豚の角煮。ゆで卵もたっぷりと。STAUBの鍋で作ったら、あっというまにできた。手間がかかるように見えて、放っておけばいいの、楽でいいな。帰ってきた夫がはしゃぐ。「角煮、好きなん?」と聞いたら、「こういうの食べたかった」と言った。手術以来、私の元気がなかったから、「言うと負担になると思って」と付け加えていた。料理らしい料理を作ったのは久しぶりだ。たぶん、私たちは同じ気持ちを共有している。その表現として、私は角煮を作り、彼は本心を隠す。

    9月23日(土)
    モーニングページを始めた。毎朝、ノートにばーっといろいろ書く手法。ジュリア・キャメロンという人が創始者。ジュリアの本を久しぶりに買ったので再開した。彼女は「ノート3ページ分よ」と言うけれど、日本語でやるのは少々難しいと思う。私はニーモシネのB5ノート1ページでOKというルールにした。このノートはページが3分割されている。3ページならぬ3パラグラフというところ。

    9月24日(日)
    夫とスーパーへ。もうすぐ新米の季節。ひいきにしている西塚農場は、秋に収穫したつや姫を毎年夏前には売り切る。今年は10月の下旬から新米の発送を開始する予定。それまでの、つなぎとしてのお米をどうするか。私にとってのお米は、西塚農場のつや姫かそれ以外か。ローランドみたいだ。西塚つや姫以外どうでもいいと思っているわりに、自分が日常に戻ったのが嬉しくて、「あれにしようよ」「これはどう?」と話し合って決めた。愛知のあきたこまち。

  • 9月6日(水)
    手術の日。医療従事者のチームワークはすごい。私が手術台に横たわる傍らで、声を掛け合い、てきぱき仕事をしていく。私はひとりで考えたり調べたりする空間と時間が多めに必要で、かつ人とのコミュニケーションの時間はひとりの時間と切り離したいタイプなので、彼らのようには働けないなと感嘆していた。オペは寝ている間に終わった。麻酔が抜けるまで気持ち悪かった。吐き気が強いし、体が痛くて眠れないしでたいへんだった。

    9月12日(火)
    経過が悪いところがあって再手術。前回は緊張しっぱなしだったのに、2回目は落ち着いていた。唯一、麻酔が切れたときのことを心配していたけど、短時間、麻酔量少なめですんだので平気だった。

    9月13日(水)
    医師が、今度の経過は順調に見えると話していて少し安心した。太い緊張の糸がぶちっと切れて泣いた。看護師に処置されることに慣れてきた。

    9月14日(木)
    医師が、経過が順調だと話してくれて心の底から安心した。noteの創作大賞は落選したけれど、そんなこと(というと応援してくださった方に失礼かもしれないが)よりも、回復に向かっているほうが大切だった。文章を読んだり書いたりする私の目的ってなんだろうなと、中間選考を通過した作品を読みながら考える。私の価値基準で行こうとあらためて思う。今回書いたものは、何よりも夫が喜んでくれたことに価値がある(返事のnoteまでもらった(現在非公開))。周りの人に喜んでもらえたことに価値がある。

    9月16日(土)
    医療用ホチキスを取ってもらった。残りは、再手術分の抜糸だけ。数日先でも、先のことを考えると待ちくたびれるので、毎日その日の、目の前にあることにだけ集中して、感謝するようにしている。

    9月17日(日)
    スープストックトーキョーで買っておいた冷凍カレーを夫と食べる。夫は東京チキンカレー、私はえびのフレンチカレー。「おうちスープストックだ!」と言って楽しんだ。

    事実列挙の文章は好きじゃなくて、それを経てどう思ったかとか、何を連想したかを中心に書きたいのだけど、このところそのスイッチがオフになっていてうまくいかない。冷静に、落ち着いて、無感情でいようとする感じ。時間に「淡々と過ぎていってください」と思いつつ、心のだいぶ奥のほうで、「つまらん」とふてくされている。

  • 8月28日(月)
    たくさん勉強をしてから名駅へ。夫が飲み会でいないので、普段食べないものを食べちゃえと思い、ウニと白ワインを買った(夫はウニが嫌い)。気持ちが落ちているときの策にはいくつかのレベルがあるけれど、その中のデンジャラスレベルのとき用のリストに入れようと思う。繊細な味なので、静かにゆっくりと食べたほうがよく、そうなると自然と瞑想的な感じになり、リラックスする。正直、この量がこんなに高いの!?という感じだったけど、新しい発見があってよかった。いつか、瓶詰めのおいしいやつを取り寄せるぞー。

    8月29日(火)
    体調がすこぶる悪い。私には子どもがいましたっけ? 3人くらいおんぶしてましたっけ? と勘違いするくらい、肩から頭にかけてずーんと重かった。頓服の薬が1錠では効かなくて、もう1錠飲み、昼間から寝ていた。帰ってきた夫も体調不良。風邪の咳を引きずっていて、しゃべるのが大変そう。夕食はごま豆乳鍋を一緒に作った。作りながら、今日のできごとを話した。

    8月30日(水)
    嫌なメールのやりとり。疲れた。

    8月31日(木)
    単語帳の単語編が終わり、熟語編に入った。「熟語って、知ってる動詞と前置詞の組み合わせでしょ!」と見込んでいたけど、とても甘かった。知らない単語と知ってる前置詞の組み合わせだった。もはや熟語編というか単語編の延長戦である。それでもすべての動詞の意味と語源を調べて書き込んだら、なんとなく覚えられそうな気になった。

    9月1日(金)
    一日中伏せっていたが、久しぶりの友人とのLINEで癒やされる。東京に行ったら一緒にごはんを食べたい。年を重ねてからこそ話せることってあるんだなあと思った。最近、あまり好きじゃないと思っていたグループLINEを退室したり、頻繁に既読スルーしてくる人をアドレス帳から消したりした。大切にしたい人とそうではない人がわかるようになって、よい。返信がゆっくりでも率直に話してくれる人が好き。

    9月2日(土)
    熟語を覚えられる見通しが立つ。単語も熟語も、キモは面倒くさくても語源を調べることだと思う。そこからイメージ記憶までもっていければ忘れない。私は「英語ができる人」のロールモデルを、英文読解の本で有名な北村一真先生にしている。私が学部生だったとき、同じゼミの院生だった先輩。難しい英語をゴリゴリに読む姿に感銘を受けすぎて、私はどれだけ英語ができるようになろうと、「北村さんには及ばぬ」と自戒する。今日も熟語を覚えた。しかし北村さんには及ばぬ。

    9月3日(日)
    しばらく手術で不在にするので、食材の買いだめと、おかずの作り置き。夫は自分のために料理しないし(私と一緒)、買ってくるものも揚げもの、肉、カップ麺、ポテトサラダ、マカロニサラダになりやすくてよくない。とはいえ、そんな悪魔の楽しみもわかるので、ほどほどの作り置きにする。生理で頭がぼけーっとしていて、休み休み台所に立っていたら、彼がやってきて「体調が悪いの、ぼくが足りないせいだよね。ごめん。反省してる」と言ってぎゅーっと抱きしめてくれた。私が作ってさしあげたレモンサワーでほろ酔い&ご機嫌。おもしろくて元気が出た。夕食は途中から一緒に作ったスンドゥブチゲ。

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