Writings

New Essays Every Monday

  • 写真家さんにお仕事をお願いした。必要最低限のことだけ伝えて、あとはお任せした。期待以上のものが納品されて自然と涙が出た。

    その中からいくつかを選んで、クライアントに提案した。写真データはこの方にも渡っており、「数十枚の中からなぜあなたがその数点を選んだのかがわからない、でもあなたに任せる」と言った。目的は共有しているものの、この方の好みと私の意図は違うので、私は完成前に説明するのはやめようと思った。

    写真を使って私の仕事を完成させ、クライアントに納品した。写真の意図を説明しようとしたら、「この写真は確かにこの場所だ。あなたがなぜこの写真を選んだのか、より理解できた」と言われた。

    言葉を最低限にして仕事を任せるということは、賭けるというか、相手を信じるということで、言葉が最低限でも仕事を任せてもらえるということは、私を信じてもらっているということなんだと思った。言葉じゃないところで心を交わす仕事ができたようで、うれしかった。こういうのを増やしていきたい。

  • 彼はLINEのスタンプも食べた。もともとガラケー派だったけれど、スタンプコミュニケーションを気に入り、スマホ共々使うようになった。そしてLINE以外の場面で、スタンプみたいな言動をするようになった。たとえば、「じーっ」「えーん」「キリッ」「ぐっ!」「わくわく」「がるるー」「おおー」「イエーイ」「ぺこり」「ガーン」「えっ……」「えへん」と戯画的に言う。わざとうるうるの瞳で見つめてきたり、深刻な表情で落ちこんだり、ドアの隙間からひょっこり顔を出したり、ほっぺたをむうと膨らませてすねたりする。主に、無料でダウンロードできる楽天のパンダと、私が好んで使うねこぺんのトレースである。気の利いた返しや、スタンプの組み合わせ開発にも熱心。経験を積みすぎて、「今日、上司に『しょぼーん』って言いそうになった」と笑う日もあった。スタンプは、彼のユーモラスな性格の養分になった。

    ふたりでごはんを https://konkawase.com/?p=179

    大学の言語学のゼミで同期だった友人が、東大の院に進み、博士号を取った。久しぶりに会ったとき、我が家の話をした。

    私「夫がさ、LINEスタンプっぽい言動をするんだよ」

    博士「どういうこと?」

    私「新しいスタンプをダウンロードして使ってると、そのうちそのスタンプみたいな言葉を普段口にし始めたり、新しい動きをしたりするようになるんだよね」

    博士「興味深いね(笑)」

    私「でしょ。データ残してあるからさ、言語学の論文書けたりしないかな」

    博士「書けるんじゃない?」

    私「サンプル数1でも?」

    博士「書き方によるかもよ」

    私は文学に転向したので、もうこの論文を書くことはないけれど、言語学的フィールドワークは続けていく。この文章を書いているあいだにも、夫は楽天パンダを送ってきていた。今夜のメニューが和食と知って、親指を「ぐっ」と突きだしている。私はうさまるが手をばたつかせて「うりゃー」と言っているスタンプを返した。

  • 近所のスーパーのセルフレジが増えた。有人レジがひとつになった。お客さんは有人レジを好む人が多く、並ぶ。店への投書の掲示板にも、苦情ばかりが載っている。夫は有人派だ。今まで店員さんにお願いしていた労働が客に渡っただけである、コストカットの悪影響だとぷりぷりしていた。セルフレジの動線設計がかなり悪いこともあり、怒るのも無理はないと思う。私は空いてるほうを選ぶ派。

    レディボーデンのアイスクリームがおいしい。チョコレートアイスにチョコチップが入ったミニカップ。私におみやげを買って来るならこれでお願いしますと、夫に伝えていた。

    しばらくして彼は買ってきてくれて、私はおいしく食べた。彼は定期的な購入品についてはコストカットをもくろむ。ミニカップを数回買ったあと、大きいサイズ(パイント)を買ってきた。「これをこまめに食べるといいよ」

    パイントにはチョコチップが入ってなくて、私は「む」と思った。でもまあ、チョコレートアイスは好きだし、いただきましょう。カップからワンスクープすくおうとする。硬くてうまくいかない。「うーーーにょーー」という変な声が出た。少し溶けたくらいでなんとかうまくいって、食べた。

    別の日にまたワンスクープ食べようとしたら、この前よりもっと硬くなっていた。食べたいので懸命にすくおうとする。手が痛くなって休んでいるときに気づく。ミニカップだとこんな労力発生しないじゃん。「あっ、食べたい」と思って冷凍庫に行ったら、すぐに手に取れて、私はスカートの裾をふわっと揺らしながら優雅にエアコンの効いた部屋に戻れるじゃん。っていうか好きなのはチョコチップ入りだって。

    また別の日にまた食べようとした。今度は夫が横にいた。私が硬いアイスと格闘しているのを見て、ひーっひっひっと悪い顔で爆笑している。「ねえ、これセルフレジと同じじゃん。きみのコストカットのしわ寄せが私に来ただけじゃん!」

    これを読んでいる夫へ。私はミニカップが好きです。レディボーデンはチョコチップ、ハーゲンダッツはクッキーアンドクリームとストロベリーが好きです。よろしくお願いします。

  • 我が家は抱きしめ合うことを「ぎゅう」と呼ぶ。ハグなんて言わない。そんな洒落っ気のある夫婦ではない。

    ぎゅうが発生するのは、立っているときと寝転んでいるときだ。立っているときはおたがいの体に手をまわし、ぎゅっとするのでわかりやすい。私は製造業の品質評価部さながら、直立時のぎゅうのあと、夫に「よしっ」と言う。よくできました、合格の品質です。今日もお仕事がんばりましょう or おつかれさまでした。解散。

    寝転がっているときのぎゅうには2種類ある。真摯なぎゅうと怠惰なぎゅうだ。まず夫がベッドに大の字に寝転がる。私が腕に乗る。夫は私が乗っているほうの腕だけ動かして私を抱き寄せる。このぎゅうは怠惰なぎゅうだ。彼は3分もすれば腕の力を抜き、寝てしまうからだ。気持ちのよいベッド、エアコンの涼しい風、横にはかわいい人、ああしあわせ、すぴー。

    私は真摯なぎゅうを要求する。真摯なぎゅうとは、背中が完全にベッドにくっついていた状態から体を起こし、体の側面だけベッドに接し、私に向き合って両腕をまわし、しっかりとぎゅうをすることだ。この姿勢は気を抜くと崩れるため、緊張感がある。つまり寝てしまいにくい。私に集中できる。

    私は怠惰なぎゅうを正式なぎゅうと認定しない。私というすばらしい存在とぎゅうしようっていうのに、真摯じゃなくてどうする、いったいなんのつもりなのか。早くすぴーっと寝てしまいたい場合、怠惰なぎゅうでぐずぐずしているのは得策ではない。さっさと真摯なぎゅうをして、私がそろそろいいですと飽きるのを待ったほうが早い。

    金曜日、私たちの結婚記念日だった。うなぎ屋さんでどんぶりを食べて、デパートで花束と仕出し弁当を買って帰ったあと、一緒に昼寝した。私は真摯なぎゅうを要求した。彼は真摯なぎゅうで応えた。しばらくしておたがい本格的に眠くなり、腕をとき、私は左手を、彼は右手をベッドに広げて寝た。くかーっ。

    別にぎゅうの形によらず、彼がいつも真摯なのは知っている。

  • 私はデザイナーだ。美容師ではない。注文を「広瀬すずちゃんのボブでお願いします」みたいに軽く言われても困る。

    back numberはバンドの名前。ヒット曲がたくさんある。「back numberっぽく」と言われて、何を意味するかはなんとなくわかった。フォントはサンセリフで、丸文字か手書きで、コントラスト低めの写真で。ただ商用なので、コピペはいかんと思った。

    まったく知らない業界の話でも、3日、勉強する時間をもらえれば、ミーティングで本質的な話ができるようになるのが私のいいところだ。断熱技術推しのハウスメーカーでも、特定の宗教法人傘下のこども園でも、めっき加工専門の工場でも、事前の勉強をしたうえで社長に質問をしたり現場を見れば、デザインのコンセプトは出せる。

    back numberをback numberたらしめるものは何か。クライアントはどんなふうに生きてきて、back numberのどこに惹かれて、どうなりたいと思っているのか。よく調べて考えたり想像したりする。曲は全部聴いた。歌詞を分析した。ウィキペディアやツイッターやファンのブログも読んだ。当時在籍していた会社の経費でライブDVDを買い、会議室、椅子の上で体育座りしながら観た。

    散々頭に入れたあとで、クライアントが、過去の栄光を大切にしていることに気がついた。何度も愛おしい子どものようにその話をしていたし、それが自分を形成したから、今後も大事にしたいと思っているようだった。好きな雑誌のバックナンバーを綺麗に保存しているみたいだった。バックミュージックはback number。

    私は次に会ったとき、分析結果とともに「ご注文どおりでいいんですか」と言った。「寄せられます。いくらでもback numberには寄せられます。でもあなたはわざわざデザイン会社に依頼して、過去の綺麗なものの標本を作りたいんですか。あなたのカレントイシュー、日本語だと最新号という意味です、つくらないんですか」

    A案はback number寄せで、B案とC案はオーダーされていない、でもクライアントの望む未来に合っていそうなものにした。クライアントはB案を選んだ。彼女は「怖いけど、前を向きたい」と言った。

    私は美容師ではない。でも、何かになりたい、何かを真似したい言葉は受け取る。そのうえで調べて、考える。相手のよりよい人生を祈って提案する。

©2025 川瀬紺 / Kon Kawase